たびなかば

on a journey

食洗機が使えない人間の話。(私)

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カナダで滞在したB&Bの宿には大きな食洗機があった。

食洗機。食器を自動で洗ってくれる機械。

買おうかと考えたこともなく、自分には全く必要ない物だと思っていた。

 

宿で初めて自炊した夜、使った数枚のお皿とコップを洗おうした時にスポンジがないことに気がついた。

そして致し方なく食洗機を使うことになった。

いや、正直に言うと、本当は使ってみたかった。使ってみたかったんだ…!

 

機械の使い方がよくわからない上、ボタンに書かれた英語の意味もわからないが、とにかくワクワクしていた。

とりあえずそれっぽく食器を入れ、それっぽいボタンを押す。

すると数時間後、乾燥までされた食器が出てきた。

 

 

…めっっっちゃ便利やん。

 

 

引くほどの便利さ。

関西人でもないのに関西弁が出てきてしまう便利さ。

 

食べたら軽く水洗いして、食洗機へGO。食器が溜まったら、もしくは眠る前にボタンをピッ。

すると次にキッチンへ行く時はもう綺麗な状態で私を待っている。

信じられないくらい便利。そしてなぜか病みつきになる「ピッ」の音。

 

朝食の後にピッ。夕食の後にピッ。

ピッ。ピッ。ピッ。

 

食器の後片付けをしないって、こんなに楽なのか…!

 

ここにはきっと食器を洗うという「手間」を省く以上に精神的負担の軽減がある。

絶対に通らなければならない山道をショートカットできた時のような。

締め切り前日の原稿が寝てる間に完成されていた時のような。(完全にイメージ)

 

 

しかし2日後、私は気づいた。なんだか体調が悪い。

 

そういえば部屋は荒れ、破滅的な食事を好み、夜更かしをしてネットフリックスを見ている…(*1)

そしてそれが心地良くなっている。

 

なんということか…生活が乱れに乱れている。

海外旅行中は常に部屋を綺麗に保ち、土地の旬のものを食べ、通常5時起き+遅くとも23時には寝るスタイルなのに…

一体何が起こっているのか??

 

そして今までと違う行動を振り返ってみて思いつく。

食洗機のせいではないか…?と。(個人の推測です)

 

今まで洗うのが面倒だからと最小限で使っていたお皿の枚数も、自制する必要がなくなる。(*2)

別に汚しても「まあいっか」ってなる。だって手も汚さず、ボタンを押すだけで綺麗になるから。

 

 

やりっぱなしは楽だ。私のような面倒臭がりにとっては特に…

 

しかし緩んだのは少しだけだったはずの自制心が他の行動にも影響を与え始め、時間の流れのメリハリが消え、いつの間にか生活全体が「まあいっか」になってしまった。

 

自分のお尻は自分で拭かないと、私は堕落してしまうのだ。

堕落した生活は悪くないが、それでは私は幸せではない。

 

 

便利なものが出てくる度、翻弄されそうになる自分がいて困る。

食洗機はあまりに簡単で便利すぎて、私には使うのが難しかった。

 

私の場合、食洗機を使うよりブレない自分を育てる方が先みたいだ。(*3)

 

*1)ネットフリックスで見た日本のテレビアニメが素晴らしすぎた。

*2)使うお皿の枚数が減って使う洗剤の量が少なくなるならば、面倒臭がりにも良いところがあるのだ。「地球環境のため」より、「面倒臭い」の方が私は継続に繋がる。

*3)この記事には食洗機使用を推奨/制止するどちらの意図もありません。

人それぞれ。

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鳥も、それぞれ。