【中国・重慶】中国料理が美味しい秘訣!市場とスーパーが共存する意味とは。
中華料理はあまり好きではないが、中国料理は本当に美味しくて大好きだ。
なぜこんなに中国料理が美味しいのか知りたいと思い、ホストファミリーについて食材の買い出しに行くことにした。
最初はスーパーにだけ行くのかと思って行ったのだが、どうやら市場にも行くようで。
なぜ両方行くの?
「清蒸鲈鱼」という料理がある。
日本語にすると、スズキの姿蒸し?魚を蒸した後にネギと生姜をのせて油をかけるから「スズキの姿蒸し〜香味油をかけて〜」が一番近いかもしれない。
今日の夕飯のメニューはこの魚料理だが、料理を作る予定のパパが「買い出しには市場とスーパー、2ヶ所行く必要がある」と言う。なんで?
「スーパーは扱う食品の種類は豊富だけど値段が高く、生鮮食品はあまり新鮮ではない。市場は種類が少ないけれど値段も安く、生鮮食品が新鮮だ(生きてる)。」
そんな違いがあったんだ!
「清蒸鲈鱼」は蒸し魚料理のため、市場で売っている「直前まで生きていた魚」でないと臭みが出て美味しくない、と。
そんなこと考えたこともなかった私は感動し、「すごいなー!すごいなー!」とバカみたいに繰り返していた。
まずはスーパー
スーパーでは野菜を中心に調味料や香辛料を調達。
香辛料は本当に種類が多い。ここで自分好みの香辛料を購入し、自家製調味料を作る。
野菜は量り売り。キュウリは500gで4元=65円。
日本も袋詰めスタイルをやめて、単価も安く、ゴミが出ない量り売りにしてほしいな。
画面で野菜の種類を選び、自分で秤に乗せるとレシートが印刷されるので、それを持ってレジへ。ズルしないように10年前はお店のスタッフに計量してもらっていたけど、今は監視スタッフが1人いるだけというのが主流のよう。
そして市場へ
市場には生きている魚だけでなく、カモやアヒル、蛙などがいる。
夕飯用の魚を選ぶ。
桶に張った水の中の魚を選ぶと、店主が魚を持った両手をおもむろに振り上げる。何をするのかと思った瞬間、「べちーん!!」と魚を床に叩きつけた。
「ひーーーー!!!」
私が片足を上げて叫ぶのもお構い無しに、店主はまたビチビチと震える魚を振り上げ床に叩きつける。「べちーん!!」
魚が動かなくなった。「死んだのか?」と聞くと、「脳震盪だ」と言う。
そのまま持ち帰って料理すれば、新鮮なまま食べることができると言うのだ。
すごい。美味しいものを食べることへの意欲がすごい。
番外編
必要な食材を買い終え家へ歩いていると、道にお餅のお店が。中秋節のためだ。
中国ではこの時期に連休があり、皆家族に会いに帰る。ニュースでは仕事で帰省できない人が「本当は家族と月餅を食べたい〜」と号泣している映像が流れていたが、あながちフィクションではないよう。
街の月餅屋は混雑しているし、道ですれ違う人の手には大きな月餅ケースがある。ホストファミリーも月餅と餅を用意し、家族で食べた。家族を大切にする良い風習だな、とじーんとした。
こんな道端の露店にも電子決済が取り入れられていたことに驚いたが、
むしろ手洗い場がない所で汚い現金を触ってやりとりしなくていいという点ではこのような店こそ必要なツールなのだ。
肉屋もそう。現金触った手で肉を切るのはお断りしたい。
今回市場へ行って感じたのは、「衛生的」という言葉が市民の生活にかなり根付いているということ。以前は臭いもきつくハエがたかっていた市場はだいぶ清潔になってきている。
「現金は汚い」「外食店は衛生的ではない」という認識が人々、特に若者の間で定着しており、私も重慶人の友人に
「屋台では物を買って食べないで。衛生的ではないから。」と念をおされた。
食の問題が多く起きる中国で、その情報が拡散されることにより人々の意識が少しづつ変わり始めている。
まとめ
この日まで「なぜ大手スーパーがある場所で市場はなくならないのか」と疑問だったが、市民はそれぞれ特徴を知った上でうまく使い分けをしているのだとわかった。
当たり前だが、食材からしっかり準備するからこそ、美味しい料理ができる。
大型スーパーの中には水槽を置いて生きた魚を扱う所もあるが、生きた鳥類を扱っているのは見たことがない。その場で血抜きすることがスーパーはNGなのかもしれない。その点で市場は優位性があるのだろう。
さらに、日本と違って各地域ごとに住民のための小さな市場が必ず存在し、そこでのコミュニティができていることも市場が潰れない理由の1つだと感じた。
個人to個人の買い物の中には、スーパーにはない「人との繋がり」という魅力がある。だからこそおしゃべり好きな重慶人の大切な場として重宝されるのかもしれない。
ここで買った唐辛子で作ったラー油の話も書きました。
journey-to.hatenablog.com